パーソン・センタード・ケア(その人を中心としたケア)について
パーソン・センタードな態度-人を尊重するということ-
第1回のお話で、パーソン・センタード・ケアとは、認知症の人の持てる能力を引き出すように援助するだけではなく、その人自身が『周りの人たちから、大事にされている(尊重されている)』と言う気持ちを持てるようにするケアであり、それをパーソンフッドと呼ぶと言うお話をしました。では、具体的にその人を尊重するということはどのようなことなのでしょうか?私が、パーソン・センタード・ケアと出会った2002年には既に、トム・キットウッド教授は亡くなっていましたので、彼のお弟子さんに指導を受けました。『尊重する』ということに関して非常に簡単な例を出して教えてくれたことを覚えています。
ある人が、別のある人に、たとえば、「佐藤さん」とその人の名前でよんだとしましょう。その瞬間にすでに、佐藤さんの存在を認め、佐藤さんの人格を尊重しているというのです。
「佐藤さん、なにか飲みますか?」「佐藤さん、暑くないですか?」「佐藤さん、あちらで話しませんか?」などと声に出してみればわかります。相手の名前をよび、声をかけ、相手のいうことを聞き,ケアをすれば、尊重とは反対のことは起こらないでしょう。
これと逆の態度は、「認知症の人だから、話にならない」と相手にしなかったり、「わからないから、かまわない」と相手の存在を無視するような態度のことです。名前をよんでいても、表面的な言葉かけであれば、ないのと同じです。
「佐藤さん、ちょっとごめんねー」などと相手の表情も反応もみずに、とにかく(スタッフがあることをしたいがために)一方的にケアをするから、おかしなことになるのです。
それでも、名前をよぶなんて、そのような簡単なことで尊重ができるわけがない、もっと深い意味だろうとお思いの方もいるでしょう。しかし、少し考えてください。たとえば、ここでいう尊重とは、なにも患者さんに限らず、同僚などにもあてはまることなのです。スタッフを名前でよばず、「ちょっとそこの看護師さん」とか「掃除のおばさん」などとよぶ人がいます。また、ドラマなどで、会社の偉い人が、お得意さんなどに、「いま、うちの女の子に行かせますから」などという場面をみることがあります。これも根は同じだと思うのです。○○さんに頼んでいるのではないのです。大げさにいえば、人格をもった、 ○○さんに頼んでいないのです。その人の人間性を考えてはいないのです。反対に、医師のなかにも自分の担当の患者さんだけでなく、他の医師の担当患者さんの名や、その家族構成、職業、特徴までよく知っている医師もいます。しかし、1年以上担当しているのに、いつまでたっても名前がわからないで(覚えようとしないで)、「よく暴力を振るう、年配のアルツハイマーの男性がいるんですが・・・」などと他の医師に相談したり、 他の病院に紹介する人もいるのです。名前を知っていればよいというものではありませんが、やはり、名前で話しかけ、話をすることが、尊重の第1歩でしょう。そしてそれは、認知症高齢者だけでなく、同僚に対する態度にも表れるのです。
次回は、「その人らしさ」についてお話ししたいと思います。
<これは、「実践パーソン・センタード・ケア」(水野裕著、ワールドプランニング社、2008、東京)の一部を引用、修正したものです>
まつかげシニアホスピタル
認知症介護研究・研修大府センター
客員研究員 水野 裕