DC博士のワン・ポイント

パーソン・センタード・ケア(その人を中心としたケア)について

その人らしさとパーソンフッド

 「その人らしさを維持し、尊重する」という言葉は、今盛んに言われていますし、日本の認知症ケアの根幹を成す理念です。これに対してどうこう言う気は毛頭ありませんが、「その人らしさを維持し、尊重する」ケアが、『その人を中心としたケア』であり、すなわち『パーソン・センタード・ケア』であると言われると、パーソン・センタード・ケアの認定トレーナーとしては多少異論があります。
 ある人が、別のある人に、たとえば、「佐藤さん」とその人の名前でよんだとしましょう。その瞬間にすでに、佐藤さんの存在を認め、佐藤さんの人格を尊重しているというのです。
 そこで、今回は、「その人らしさ」についてお話しましょう。

 「その人」を知るために、情報収集をすべきだ、とはよく言われることです。現在、一般に普及しているアセスメントやケアプランの書式を見ても、「その人らしさ」の実現のために、細かな情報収集を勧めています。しかし、どんなに詳細に情報を集めても、過去の「その人」は描けても現在のその人は分からないと思います。

 私は、認知症のご本人同士が自由に話し合う会を、1年ほど前から毎月開いています。あるとき、何回か参加されているあるご婦人が、「私は幼稚園の先生をしていたんです」と話されたので、私は、(あー、そっだったんだ、知らなかった)と思いながら、「ではオルガンなんか弾けるですよねー、すごいですね」などと応じて、会話が弾みました。後で夫と話すと、「いや、そんなことはありません…でも、なりたかったかもしれません」と遠くを見つめるような目をしておっしゃいました。気のせいかもしれませんが、(自分のせいで、彼女の夢を奪ったのだろうか)というような後悔の念が浮かんだようにも見えました。
 彼女は、専業主婦でずっと生きてきました。家族から情報収集をすれば、「家庭を守るまじめな主婦」像が、彼女の「その人らしさ」ということになるかもしれません。したがってそこから作られるケアプランも「料理が得意だから、○○を作ってもらおう」ということになるかもしれません。しかし、彼女の世界では、「幼稚園の先生を長くしていた私」こそが、本当の彼女なのです。

 「その人らしさ」とは、結局、本人以外の人がその人について抱くイメージではないでしょうか?子どもから聞く情報は、子供が母親である本人に対して抱いていたイメージでしょうし、夫から集めた情報は、夫が知っている彼女の世界であって、彼女の内面は反映しないでしょう。
「その人らしさ」を重要視するといって、周囲のイメージを本人に押し付けることになっていないかを注意する必要があると思います。
 確かに私は、2004年にパーソンフッドを「その人らしさ」と訳し、パーソン・センタード・ケアを「その人を中心としたケア」と訳しました。しかし、その後、だんだんとその過ちに気付くようになりました。トレーナーの会でそれを話し合い、2007年秋からは、パーソンフッドを『一人の人として、周囲に受け入れられ、尊重されること』と訳することにしました。もっと簡単に言うと、「自分で自分の価値を感じられること」とでも言ったほうがよいでしょうか。

 <これは、2008年5月日本認知症ケア学会特別講演会抄録をもとに加筆修正したものです。>

まつかげシニアホスピタル
認知症介護研究・研修大府センター
客員研究員 水野 裕